日々の暮らし 2020年7月
2020/07/24

京都府井手町はカエルが多い。ぴょんぴょん飛ぶカエルも草むらを歩けばいっぱいいるが、置き物のカエルも家の玄関先によくいる。
筍や梅や渋柿をどっさり採って、せっせと人に配るのが好きだ。ちなみにどれも友人の土地のものだけれど。
筍は放っておくと、竹に成長して竹林を暗くする。明るく風通しよくしておかないと いい筍が育たないので、竹になってもらっちゃあ困る筍は、50cm~1mくらいのときに蹴り倒す。
それが1m以上になると、ちょっとやそっとの蹴りでは倒れてくれず、竹挽きノコで切らねばならない。倒すのも切るのも汗だくの作業だから、おなじ汗だくになるなら筍のときに掘って誰かに食べてもらう方がいい。
そんなワケで、春になると筍を配って回り、秋になると渋柿を配って回る。
筍も渋柿も、京田辺市大住の土地で獲れるので、井手町へ帰る道すがら元ご近所さんの玄関先に立ちよる。事前連絡できなかったら、”余ってるのでもらって下さい”とメモを入れて置いてくる。
そんなことをしていたら、私に農産物を押し付けられた知人が井手町を訪ねてくれた。呼鈴が鳴って出てみたら、なつかしいお顔の人が立っていて、お父上が作ったという玉ねぎをくれた。
いつも筍をもらいっぱなしの元ご近所さんがいる。筍のお礼を持ってくる人もいるけど、私はどちらでも全然構わない。もらいっぱなしの彼女は、3人の小さな子供さんを育てている。私は筍をほる、彼女は子供を育てる、どちらも社会に役立っている。
隣家のご夫妻の娘ヒロミさんが、青梅・黄梅が欲しいというので差し上げた。そのあとも手の届かぬ枝にある黄梅がぽたぽたと落ちてきて、もったいながりの私はヒロミさんに ”もうちょっと要らない?”とメールしたのだが、”要らない”との返事がかえってきた。
ヒロミさんは要らなくても、隣家のご両親は要るかも。持っていくと ”私らはいらないけど、ヒロミが使うかも” ともらおうとする。
”ヒロミさんは要らないと言っている。遠慮してるのかもしれないけど”
”あの子は遠慮しない。要らないと言ってるなら、本当に要らない。” のだそうだ。
なんて分かりやすくて、付き合いやすいんだろう。
私の自然農仲間たちは、エンゲル係数が高い。かせぎが少ない上に、おいしくて安全な食べ物に「労力」と「お金」をかける人たちだからだ。
好きなこと打ち込めることを仕事にしているので、遊戯施設でお金を使って仕事のストレスを発散する必要がない。
京田辺市のマテアのパンが安いと言った人がいる。と、井手町のオーガニック大西商店で聞いた。
ホシノ酵母で南部小麦、無添加のバターやくるみを使っているパンである。原価だけ考えても安かろうはずがない。恐らく、その美味しさや価値と比べて安い、ということではないかと思う。
今は規模を縮小して止めてしまったが、配達はおじさんの仕事だった。おじさんは、誰かのために何かをしたり、場を盛り上げたりしようとする人だ。
カフェに用事で行くと、そこの珈琲を飲んできたりする。輪の中に入ってお喋りしたいし、カフェの売り上げにも貢献したいんだな、と私は想像する。
ところがこれが、おばさんの大目玉をくらった。そりゃそうでしょう、おばさんが汗水たらして作っているパン2個より、珈琲代の方が高いんだもの。私の心情はおばさんに近かったが、怒られたおじさんの気持ちもわかった。
モノをあげるのは、あげる側がしたいからするのだ。
私が子供のころ母は、「いつ・だれから・いくらくらいのモノをもらったか」をノートに付けていた。値段がわからないモノは調べた。そしてそのノートを見せて、自分がいかに「ちゃんとした」人かを私に語った。
私は幼かったので、それを素直に信じた。
そうして、私はいろいろなものを信じてきたけれど、信じようとしたけれど、人生半ばで出来なくなった。体と心をおかしくして、まっすぐ立って歩けなくなってしまった。このころ私を支えてくれたのは、私をまるごと肯定してくれた元旦那だった。元旦那様、ありがとう。
結局、小さいころ学んだのとは逆の生き方をしている。
生き方を変えなければまずい、と危機感をおぼえた出来事はいくつかある。
会社の同寮からこう言われたことがある。
”恵さんは、しんどい・・ ってよく口をついて出るけど、しんどくない時ってないの?”
考えてみた。
なかった!
常時しんどかった!
身近な人が認知症になって、言動が変わった。これまで見せたい姿を演じていたのに、認知力の低下でできなくなった。その姿を見て、私もまずいかも・・ と思った。
腹の中で思っていることと、言動を一致させなければ! 簡単なことではないけれど、模索している。