教える仕事と、弾く仕事
2020/11/26

日曜日は、奈良の橿原交響楽団の練習に参加してきました。京田辺市の三山木まで自転車で20分、そこから近鉄京都線でおよそ1時間の道のり。窓から見える景色がとてもきれいでした。お世話してくださる団員さんが、大和八木駅まで迎えにきてくれて、譜面台も貸してくれました。
わたしは教える仕事が大好きです。京都市内や松井山手のレッスンルームは、電磁波で身体が痛いのですが、教えている間は忘れています。待機時間が長いのはちょっと辛いです。先日レッスンが終わって、妙に背中が凝ってるな~ いつもと違うな~と思ったら、スマホの電源を切り忘れていました。
教える仕事は私に向いていて、得意でもあります。
「なぜ自分は『それ』が出来るのか」が分からないと教えられませんが、身体感覚過敏症の私は自分のヘタクソなところに対面させられ続けてきたので、「〇〇だから出来ない」「△△だから出来る」ということを他者に伝えられます。
A線の何がしかの音から、E線の開放弦へスラーで移ったとき、Eの音がヒットしないことがしばしばあります。ヒットする人に聞いても、原因・対策が分かりませんでしたが、これも遂に解明できました。
私が努力しているのは「引き算」です。「引き算」をすると、自分の身体や心がよく見えるようになります。人よりほんの少し努力するのが辛くなくて、ほんの少し簡単にできることなんでしょう。( ↑ NHK朝ドラ「エール」より)
教えるということは、自分自身と向き合うことが避けられない職業でもあります。これはやりだしてみると なかなか苦しい作業です。現状維持に留まっていると、尻を叩かれるように身体が辛くなるので、(しかたなく)頑張りつづけます。
弾く仕事は、収入に結びつかないこともあり、やりたいか or やりたくないかで選ぶようにしています。引き受けて後悔することも、断って後悔することもまだあり、人生学びの最中です。
わたしは自分の音が好きなので、パートを1人で弾くのは喜んでやります。
アカペラ(ピアノ伴奏なし)は、音楽を全てを独力で作らなければならず、しんどいですが、全責任を1人でひっかぶって弾くところは好きです。
弦楽アンサンブルはそれ以上に好きで、独りでは醸せない音色や空気を作り出せるところが、たまらんです。
オケならば、上司(指揮者やコンマス)の指示やボーイングに納得の行くときが、楽しいです。そうでない場合はイライラしてしまうので、断るようにしています。
断るときはできるだけ本当の理由を伝えたいと思うのですが、それはとても難しいです。指揮者の指導内容がおかしい、とはなかなか言えないし、ボーイングが変だと感じていない人に、そのボーイング変だよと言っても入って行きません。
家の前に降り積もっている落ち葉がとても綺麗で、掃いて道路のコンクリートが現れるよりずっと美しいと思い、そのままにしています。「落ち葉かなんねえ」と話しかけられて、「きれいだからそのままにしてるんです」と返したのですが、入って行かないようでした。