オリンピックに思うこと
2021/08/04
オリンピック、楽しいですね。
卓球やバドミントンなど展開が早いもの、体操など見ていて美しいものが好きです。
選手たちの体の動きも、とても参考になります。
とにかく骨盤が柔らかい。
先だって放映された、2019年のNHK大河ドラマ「いだてん」ダイジェストをたまたま観たのですが、さすが「あまちゃん」製作班、宮藤官九郎・大友良英コンビ、こんな面白い作品をリアルタイムで見なくて残念でした。
オリンピックは1国で開催せず、世界各地で分散してやるのはどうでしょうか?
A国で陸上、B国で体操、C国で水泳、というふうに。
開催都市は毎回変え、同じ都市で同じ競技にはならないようにします。
盛り上がりは少しなくなるかもしれません。
が、それくらいの方が健全です。
個人・個人事業主が不便を強いられて、大企業が儲かるのは、不健全です。
日常の市民生活に不要な土建工事をしなくなり、私たち1人1人の負担が軽くなります。
過度な設備投資が要らなくなれば、小さな都市でも名乗りを上げれます。
小さな都市でもやれたら、私たちの居住地のすぐ近くで観戦できます。
宇宙へ行くのも、止めたらどうでしょうか?
宇宙船は、行って帰ってくるたびに、宇宙空間にどっさりゴミを捨ててきます。
行ったきり帰ってこず、そのままゴミになる宇宙船もあります。
広大な宇宙空間、少しくらいゴミを捨てても邪魔にならんでしょう、と初代の打ち上げ者たちは考えたのでしょうか。
地球のどこか見えないところにゴミを捨ててくるのと、同じ発想です。
天気予報など、実生活に直接役立っている宇宙衛星もあります。
科学技術の発展も、宇宙での研究や発見に支えられています。
でももう生活は、これ以上 便利にならなくていいと思います。
新しい便利さ(便利なモノ・便利なサービス)は、受け取る側が ”こういうものがあればなあ” と要求するのではなく、差し出す側が ”こういうもの欲しかったでしょ” と押しつけています。
要求・欲求のないところにモノ・サービスを作り出すのが、産業界の仕事になっています。
天気予報は、状況を好転させるものではなく、あくまでレポート、しかも予測です。
病気の治療もそうですが、なってからの対処より、ならないための予防の方が、
ずっと私たちを幸せに快適にします。
土砂災害を起こさないためには、不要な盛土をしないために、不要な土建工事をしない。
よけいなダムや防波堤や道路を作らない。
中古住宅が沢山あるなかで、新築を推進する政策はやめる。
新築するなら、自然に還る素材で、長持ちするように建てる。
今の世界の仕組みは、環境負荷の高い素材が、安く手に入るようになっています。
人工的なインフラで、自然の経絡の流れを滞らせない。
人工電磁波や合成化学物質で、自然の営みを妨害しない。
京田辺市の戸建てに住んでいて、2階のベランダに洗濯物を干していたとき、頼りになったのは天気予報ではなく、隣家の洗濯物でした。
天気予報が小雨に注意と言っても、隣家に洗濯物が干してあれば心配がなく、天気予報が今日は持ちこたえるでしょうと言っていても、隣のおばさんが洗濯物をしまえば私もしまいました。
テレビの天気予報は年々、天気図から天気を読み取る説明に時間を割くようになっています。
しかし私の希望としては、空模様からの天気の読み取り方を教えて欲しいな、と思います。
人には、自然や世界とつながった数値化できない感覚というものがあり、文明の利器に頼りすぎるとその感覚を失っていくことになります。
一日中PCを使ったあとに、自分との協調性や全体性が高まった経験がある人、穏やかで安堵した気持ちなった人はいないでしょう。
地球環境に最も悪いのは戦争。
地続きの欧州は、世界の地域で一番最初に、戦争に勝者はなく、益を得るものはいないということを学びました。
人類史上初のそうした気づきにもかかわらず、兵器を使った紛争がいつも世界のどこかで起こっているのは、国ではなくグローバル企業の方が 世の中を動かす力を持っているからだと思います。
国に益はありませんが、企業は富を手にできるからです。
地球環境のための座り込みストライキをスウェーデン国会議事堂前でしたグレタは、環境に最も悪いのは飛行機だと言います。
潜水艦や海底ケーブルなども、かなり悪いでしょう。
しかし私たちは、海底ケーブルの恩恵により、世界中から情報を集めることができます。
私がこうして自分の意見を発信できるのも、海底ケーブルのおかげです。
バイオリン教室の生徒さんの中にも、多国籍にまたがった家族がいます。
飛行機も海底ケーブルも、ない時代には戻れませんが、減らせないでしょうか。
昨今の私たちはパソコンやスマホばかり見ていますが、平面で奥行きがないものは、眼=体にとって不自然です。
眼は、平面のものを「奥行きのあるものとして捕らえなおそう」としたり、「不自然さに慣れよう」としたり、過度な努力を強いられています。
現代社会ではそんなことが、目以外の器官でも起こっています。
感染症は、衛生的な暮らし、免疫力を高めることが、最大の防御になります。
常在菌を殺し過ぎたら、免疫力は失われ、病原菌の入り込む余地を作ってしまうので衛生的とは言えません。
免疫力を下げるような食べもの、塗るもの、浴びるものからは距離をおいて、質のよい地磁気をしっかり浴びる。
自然なものを見る。
自然なものを聴く。
地磁気は、600ミリガウスくらいあると気持ち良いらしいのですが、京田辺市の戸建ては測定したら 250ミリガウスでした。
二酸化炭素の濃度は、1958年に観測しだしてから3割増しです。
(地磁気も二酸化炭素も、人の活動だけが原因ではないそうですが。)
密なところで働いたり遊んだり、住んだりしない。
不自然に遠いところへ、不自然な方法で、できるだけ行かない。
不自然に遠いところから、不自然な方法で運ばれてきたものを、できるだけ買わない。
できるだけ、と思っても、線引きは難しい。
京都府井手町のオーガニック食品店「大西商店」で、欧州から来たオーガニックスナックを興味津々に見つめて、買うべきか買わざるべきか悩む私でした。
家族や友人がいれば会いにいきたい。
珍しいもの美しいものがあれば見にいきたい。
興味や好奇心、向上心や探求心など、自然な情動の発露により、文明や科学は発展してきました。