中川恵バイオリン・ビオラ教室

私の師事した先生たち

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私の師事した先生たち

私の師事した先生たち

2021/03/26

桜の向こうにぼやけているのが、わが教室です。

 

 

大阪市にお住まいだった山口秀雄先生は、シゲティの翻訳もされた、研究熱心な方でした。

実践的なフィンガリング、ボーイングの分類、いかにムダな練習をしないか、などを教えて頂きました。

 

米国オケのオーディションで実力以上のパフォーマンスをして、1stの次席になってしまった時は、背後で自分よりずっと上手い面々が弾いていて肩身が狭かった、なんて雑談もしてくれました。

 

このころ偶数ポジションが奇数と同等に使えるようになりました。
バイオリンは白人男性がサイズを決めた楽器です。

日本人女性には2ndポジションの肘の角度が一番楽だ、ということにも気づきました。

 

 

同じく大阪市にお住いの馬渕清香先生は、高槻市でご指導をされていた時から 最も長くお世話になっている先生です。
楽曲の表現のしかた、そのための弓使い、G線を弾くときの弓の角度など自分が気付いていない沢山の指摘をいただきました。

 

市民オケ経験が長かった私の弾き方は、「楽譜の音を再現する」だけになっていました。
アマオケでは、それができる人がエライからです。
語尾の処理のしかた、センテンスの取りかた、音楽的呼吸、そうしたものが全然できていませんでした。

 

あるとき、先生にご負担をおかけしてしまったことがありました。
お詫びすると、”私がそうしたくて、そうしたのだから、いいのです。”

とお答えになられました。
この言葉は、わたしの至言になっています。

 

馬渕先生のところへ通っていた途中で、自分も教えるようになりました。
最初のころは、教室運営も、立ち居振る舞いも、馬渕先生を参考にしていました。
レッスンで生徒へ語りかける自分の口調が、今でも時々、馬渕先生ソックリになっているのを発見します。

 

 

深山尚久先生は、私が最も悩んでいた左手の型について、教えてくださった方です。

関東から年に3回ほど、大阪市内のバイオリン工房にレッスンに来られていました。 

それは山口先生にも馬渕先生にも指摘されなかったことで、人差し指の故障に苦しんでいた頃でした。

 

第一関節がすぐ痛くなり、無理をして本番に乗ったりすると、数カ月弾けなくなってしまうのです。
1年の半分くらい弾けない期間がある日々が、何年も続きました。
悪くなったのは、人差し指のVibがうまくかけられなくて、試行錯誤した結果です。
その場しのぎのフォームで弾くとどうなるか、違和感を見て見ぬふりをするとどうなるか、思い知りました。
引き受けたアマオケの客演を3本指でこなしたり、キャンセルも何度かしました。
バイオリニスト生命がかかっていました。

 

深山先生に教わった型を素直に信じて、手首に定規を巻きつけるなどして練習した結果、手首・指の形は良くなってきました。
しかし肩や胸、胸郭が修正されなければ抜本的に安定しない、と気づき、独学で更なる改善に取り組みました。

そして胸郭は、腰が良くないと修正できないため、腰まで遡って治すことに。

導いてくれる師匠がいれば就きたかったのですが、身近に見つけることができませんでした。

 

助けてくれたのは、アレクサンダ・テクニークの知識・経験でした。
恐ろしく時間が、15年かかりましたが、気がつけば人差し指はほとんど気にせずとも平気になっていました。
痛めるのではないかという恐怖感から、指が拒否していたVibも、腰 → 胸郭が良くなると、勝手にかかるようになりました。

 

私が「バイオリンを教えたい」と考えるようになった直接の動機は、あの頃の私に、私のような先生が居て欲しかった、という思いからです。

だから「困っている大人だけ教えます」という先生になりたかったのですが、生業とするためにはそんな贅沢?は言ってられません。

今では、小さな子も中高生も 教えるのは面白いではないか!  と開眼し、毎日うきうきレッスンしています。

 

 

京都の森悠子先生は、グループレッスンや聴講などで、その思想を吸収しました。
左人差し指が落ち着いてきた頃でした。

 

ひとりひとり見て回っていた先生が私の前で立ち止まり、あなたの左小指はそれでいいわ、合ってるわ、と言われました。
型に大変厳しい方だけに、おっしゃー! と思いました。(笑)
右はもっとコウね、と言って去っていかれました。
そのダメ出しは、自分の見立てと一致していたので、私は観察力・分析力はあるんだ、と自信を深めることができました。
自分の体幹、胸郭や腰が良くないことも、森先生がなにもおっしゃらないことから読み取れました。

 

当時ボーイングの付け方について、自分なりの考え方を構築しかけていました。
弾きにくいアマオケが多かったからです。
自分のボーイングに自信はありましたが、根拠となるバックボーンがあった訳ではありません。
森先生のボーイングに対する考え方を伺って、初めて間違っていなかった!と思うことができました。

 

 

草津国際音楽アカデミーで、ピエール・アモイヤル先生に見て頂いたこともありますが、何を言われたか全然覚えておりません。。

 

 

バイオリン弓を買ったときは、ビオラの馬渕昌子先生に大変お世話になりました。

 

 

 

 

ビオラは、中島悦子先生、大江のぞみ先生に教えて頂いたことがあります。

お2人とも、それほんまビオラですか?というくらい、楽々と自在に弾かれます。

身体・体幹の使い方を教えてもらえないかと伺ったのですが、その研究熱心さは想定以上でした。

 

バイオリンとビオラは、まず読譜が違う、それから左指を置く幅の広さが違う、と考えがちですが、一番違うのは弓使いです。

 

中島先生とご縁があった当時、私はバイオリン・ビオラの肩当てを40個ほど持っていましたが、先生はビオラの肩当てを100個持っているそうです。

一体この世のどこにビオラの肩当てが100種類もあるのか??

海外でもご活躍なので、行く方々で集めたのでしょう。

 

 

 

チェロでもお世話になった先生方がいます。

深山先生が指揮・音楽監督をされたオケでコンミス席に座ったことがありますが、チェロのトップサイドに指導者として入っておられた桑田歩先生に助けて頂いたことは忘れられません。

今でもテレビに桑田先生が映ると ”私の先生だ!” とかじりつきます。大好きです。

 

そして秋吉台室内楽セミナーの金木博幸先生。

受講生たちに最大限のものを与えようと紛糾する姿は、まるで「親」です。

メンデルスゾーン三重奏曲の指導&チェロをしてくださった向山佳絵子先生。

レッスンでも本番でも、先生の右手の弓運びに目が釘付けでした。

 

 

 

バイオリン・ビオラそのものではありませんが、

 

学び方=自分自身をいかに上手にするか
教え方=生徒さんをいかに上手にするか

 

という点において最も影響を受けたのは、アレクサンダー・テクニークの深海みどり先生です。

京都で展開されておられる様々なセミナー・レッスンを受けました。 

 

私は時々、ヘタな発音の英語で 生徒に声をかけますが、それは深海先生の影響です。
Yes, Nice, Good,   etc.

日本語だと”そうです”とか”いいね”という言葉になり、伝えるのに2秒かかりますが、英語だと1秒ですみます。
そうしようと考えているわけではなく、生徒が弾いているのを止めまいと思うと、自然と口から出るのです。

 

 

 

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